Tさんに会った。

今日、友達に会った。
高校時代からの、彼女の母親と、私の父親がいとこ同士、
という関係の友達だ。親戚だ。


約一年ぶりに会った。
私は太りすぎなのだけれど、
彼女はとても痩せて見えた。
そして、相変わらず、というか、以前に増して、
やさしく、かわいらしく見えた。
私はかわいらしい人が大好きだ。


思い出話なんかしない。
今の私達の年齢に関する話題が多い。
お互いのパートナーについて、とか、
今、リラックスできること、新鮮に感じること、
健康にいいこと、嫁ぎ先のお姑女さんたちのこと、
コーヒーショップで、まったりーーーーと、
去年とはまるで違う私が、彼女と会っていた。


ほぼ、毎年、夏に会うのだが、
彼女に会うことも一つの節目のように感じる。
一年ごとに年齢を重ねている私達。
何か確認しあうことは、
とても大事なのかもしれない。
生きていることを正直に話す。


会ってお互いを確認できることはとても、
実は、ぜいたくなことなんじゃないかと、
このIT時代におもう。


去年の私は、何かに追われるように、
焦っていたし、なりふり構わずだったし、
スケジュール通りの人間だったし、
何か、窮屈だったし、不安を抱えていた。
不安は、増幅し、心を病んで、休業状態になったけれど、
休んで、どん、、と、構えられる自分を今は感じられる。


ああ、休んでいていいんだ、という実感は、
1か月で足りるのだ。
1か月休むと、自然にやる気が湧いてくる。
私は、休んでいいんだ、と、なかなか思えなかった。
何かしなきゃ、何かしなきゃ、
と、焦り、急ぎ、疲れ、途方に暮れる、
そんな日々が続いた。
7月、休んだとき、本当に休むしかないんだ、
と、正直、悲しくなったのだ。
そして、純粋に、休んだ。
家事も最低限。読書したり、音楽を聴いたり、
好きなことをした。


時間は、やさしい。
私に必要だったんだ、そう思える。


大体、専業主婦をしていたって、
息子の学校のフォローをしていれば、
しかも塾なぞあって、送迎ありで、
ケア―が大事な時に、
ほかに自分の仕事に時間がとられること、
これは、要領よくかからないと、
そう、生活に工夫がないと、
手が回らない。


夏休み、終わろうとしているけれど、
一日一日が、大事なことを忘れず、
行こう。
うす。


友達T、ありがとう。
会えてうれしかった。