今朝の思い

ごはん、卵、納豆、シイタケと青菜の味噌汁、ヨーグルト。
そしてピーマンと豚肉の炒め物を少し。
今朝食べたもの。コーヒーを飲んだ後、炭酸水。

働かざるもの食うべからず。

体調は悪いが働きたくなってきた。
精神的に大丈夫だ。

想像すれば、うえーってなるけれど、
今を生きるってことだ。
先のことは、今が作っているんだ。

ああ、どうしてもときどき思い出してしまう。
おばあちゃんのこと。

だからかな、なんとなくやりきれない気持ちになるのは。

死に目に会えなかった、とか、
施設に入れたのは間違いだったのかな、とか、
父母妹のいじめにあっていても自宅に置くべきだったのかな、とか、
本当にでも、ストーリーは、出来上がっていたかのようで、
私も一役買っていて、
施設に入れたほうがおばあちゃんのためだ、
そう本当に思ったのだった。

家にいたいだろう、おばあちゃんはきっと。
それはわかっていたけれど、
悲惨ないじめの実態を目の当たりにするたびに、
おばあちゃんがおかしくなるのを見ているのがつらくなってしまった。

だから父や母への不信感は消えないし、
妹のことも大嫌いだ。

実際、一緒に暮らしてみないとわからないだろう、
とは思うから、父母妹を責めたりしたことはない。
そんな資格はないのだ。

おばあちゃんは逝ってしまった。
今年の2月20日のことだった。
ずいぶん昔のようにも、つい最近のようにも感じる。

憎しみをどうしようか。

私の修行だ。

夫は概要を知っているけれど、
私の気持ちまではわからないだろう。
もう忘れてしまったのかもしれない。

母や妹はおばあちゃんがまだ生きている気がする、
などという。
おばあちゃんは死んでしまった。
でも、おばあちゃんを知る誰もの心の中に生きていて、
たまに出現しているのを発見する。
あ、今のおばあちゃんみたい。
そんなことがよくある。

おばあちゃんは、もういいよ、
そう言って笑っているかもしれない。
悔しくて仕方のない私の気持ちをよそに。

天気がいい。
仕事へ出かける。